嘉数中日記第285回   平成30年6月19日

大阪で震度6

 また大きな災害が発生した。大都市大阪で。
 沖縄にいるとニュースの間は緊張するが話題が他のものに変わると自然と気持ちもそこへ移っていく。ライフラインが破壊されても、大雨が降ってきても異動のできない被災地。この日本で「帰宅困難者」と言葉だけ聞いてもピンとこない。時間と共に、他の地区との温度差は開いていく。被災地の苦しさはそのことも大きい。
連続する震災をどこまで自分の問題として捉えられるか。そして何ができるのか。

私たちが学んだことは、教訓は何か。
それも、問うていかなければ同じ事が起きてしまう。
 

以下大阪の大谷育弘先生から2年前、熊本震災直後にいただいたメールです。紹介します・
ここからです

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関係者各位

熊本で苦しい状況にあっても
頑張っている子ども達のことを
全校生徒に知ってもらい、
心を寄せながら、
自分自身が目の前のことに対して
一生懸命取り組む。

そして、自分だけのためではなく
人のために動けるような
心の火を灯す。

まずは大人から。

僭越ながら全校生徒向けの通信を添付致します。

 

次号はもっと深くつっこんだ内容にしたく
浅野仁美さんに伺いました。

「震災後に頑張っている人は、震災前から頑張っていた人」


具体的に事例をお教えくださいと
お願いしましたところ
快く引き受けてくださいました。

皆さんご存知の通り、
浅野さんは、東日本大震災後に
石巻の小学校の体育館で
当時小学生の娘さんと避難生活をされながら、
避難所全体をまとめるリーダーとして
活躍されました。
みんなのために環境を整えられ、
避難所には温かい気が流れていました。

この道を通った方だからこそ
感じられたことがあり、
深い教訓として、
今再び、心に突き刺さります。

以下にコピーいたしますので、

よろしければご高覧ください。


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(コピーはここから)
「頑張る人は震災前から頑張っていた人・・・」

震災という非日常的な状況の中で、
避難所にいるから勉強ができない、
勉強が遅れた、成績が下がった・・・
そんな言い訳はしたくない。
逆にこんな環境たからこそ、
もっと勉強ができる環境が作れるはず。


体育館のフリースペースには、
午後3時になると支援の職員が集まり
机とダンボールで作った椅子が並べられる。
学校から帰宅(体育館に・・・)した子ども達が勉強する場所だ。
支援物資としてオーダーした電気スタンドも置いてある。
 
体育館に帰ってくると、ほとんどの子が「そこ」に直行する。
ランドセルを開けて宿題を出し、せっせと書き始める。
時間差で高学年の子ども達が帰ってくると、
低学年の子は質問をしたり、高学年が教えあったりちょっとした寺子屋だ。
側を通りかかる人はみんな「えらいね〜がんばるね〜」とほめてくれる。
遊んでいる子にも「ほら勉強はじまったよ!」と尻を叩いてくれる。
一定の時間がんばって終わらせる子もいれば、宿題だけで中断し、
夕食後の夜の部に自主勉強を残す子もいる。
 
夕食後は中学生がそこで勉強を始める。
受験生が数名いた。
小学生も宿題以外の自主勉強を一緒にする子もいる。
本を読む子もいる。
 
土日は、日中、支援員の職員が勉強を見てくれた。
 
夜、消灯後、勉強スペースは段ボールのパーテーションで個室が作られ、
より集中して勉強ができるようにしていた。
しかし、スタンドの電気に大量の虫が集まってくるので、
夏場は夜間に教室を使わせていただけるよう学校にお願いし、
12時まで使えるようにした。

 環境は整いました。あとはここを利用するかしないか・・・

毎日、帰ったら宿題をする、
その事を一番最初にした小学校1年生の時。
それはそれは「頑張って・・・」行動したであろう。
そしてそれを毎日続ける事も、がんばりが必要だ。
震災で環境が変わっても、身についた習慣は変わらなかった。
 
そして、他の人の頑張りが見える避難所という環境で、
そうしてこなかった子ども達も、机に向かった。
親も「みんながしているからしなさい」と勉強させた。
 
しかし、続かない。
机に向かい座るが、何をしていいかすらわからない。
鉛筆を落とし、消しゴムを飛ばし、
「○○さんがいると邪魔ばかりする」とみんな一緒に勉強したがらない。
 
そんな様子を見ても、親も何もできない。
声をかけ協力することもしない。
私には、宿題を見てくれる人はいないか、
そういうボランティアがいないか聞いてくる。
しかし、子どもの為に自分が何かしようとはしない。

夏休みの最終日、子どものランドセルを開けて、
終業式に渡された手紙や宿題を見つけ、
そのままそっとランドセルに戻した親・・・忘れられない光景だ。

 
そして、最期までそこに加わらなかった子。
ちょっとはやろうとするが、
褒められたり声をかけられたりしたことが無い。
何となく恥ずかしくて、わざと逃げ出すのがわかる。
やんちゃな子だったが、避難所全体で見守り、
口を酸っぱくして「悪い事は悪い」と教え続けた。
中学生についていき、避難所から、近くのイオンまで自転車で遊びに行く。
親は、みんなに責められてつらいと訴えてきた。
気持ちはわかるが、子どもの行動を急に変えることは出来ない。
良さを見つけ、褒めてほしいのだが、
じっくり関わる時間が取れないとあきらめる。

 
中学生は、体育館から離れた教室という空間に「遊び心」を刺激された。
誰にも文句を言われずに、監視されない時間。
体育館の空気から解放された気持ちはよくわかるが、
教室を使う目的は「受験勉強」。
勉強をしたい子は、虫がいる体育館に戻って勉強した。
体育館で努力した子は、後日高校に合格したと聞いた。
しかし、虫に文句を言い、教室ではゲームやマンガに興じた方は、
合格できなかったようだ。
体育館での勉強以前に、勉強を見ていた支援員が
「あの子は九九も出来ないので、教えようがない」とぼやいていた。

それぞれがそれぞれの事情で積み重ねてきた時間。
体育館という一つ屋根の下で暮らすうちに、
それぞれの日常の大きな違いに気が付いた。
それは、頑張る事の積み重ね。
努力、我慢、継続、前向きである事、正しいことが出来る事・・・
人は、案外普通に当たり前のことをするために頑張っているのかもしれない。

そして、
震災ですべてをなくし原点に立ち返った時、
震災前から頑張っていたことだけがわが身の助けになった。

子どもにとっては勉強するということ、学ぶということであり、
親にとっては子どもの育ちを支える事、見守る事。
頑張ることは、決して特別なことではない。

(コピーはここまで)

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また、昨日いただきましたメールから
心に響くところを抜粋いたします。

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〓大谷先生へ


(略)


津波は、私たちが流したヘドロを全部陸に返しました。

そしてきれいになった海は、前よりも豊かな海になりました。

人も、大きな災害に合うと、何かがリセットされるような気がします。

生きるということの原点に返る。

少量の食事だったり、不便な生活だったり・・・

そこにありがたさや、幸せを感じてこそ、

その後の長い避難生活に耐えられる心が生まれる。

 

私たちも多くの支援をいただき今日まで歩んでこれました。

熊本へも精一杯の恩返しをと考えています。

 

一方で、熊本以外の地域の皆さんには、

耐震補強であったり、地震への備えであったり、

できる備えをしているか?ということを厳しく問わなければならないと感じていま
す。

私たちが発信したことは、教訓は何か。

それも、問うていかなければ同じ事が起きてしまいます。


(略)


浅野仁美
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やはり大切なものは足元にあるのですね。


『最も大切なボランティアは自分自身が一生懸命に生きること』 by池間哲郎先生

大谷育弘拝
 

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大谷先生のメールはここまで。先を行く人の背中を追いかけていきたい。 

 

 

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