見ようとしないと見えてこないもの
先週、卒業式が終わり、お誉めの言葉をたくさんいただいた。しかし「どうして花束や風船、お菓子は駄目なんですか?」という質問も多かった。まずは当日の会場の写真を見てほしい。
見事に完成された会場。これは業者にお願いしたのではない。
花はすべてこの3月10日を逆算して美化委員が種から育てた。壁画は美術部が、式典演奏は吹奏楽部、合唱練習、トイレの掃除、スリッパ、・・・・・企画、立案、運営、そして片付けまで、そのすべてを生徒職員で行います。当日は1300人の規模のイベントです。
これほどの規模の式典を自分達で準備し、さらにその主人公は自分達なのです。
式典は3時間。自分達の力が試される。頭、心、体、すべてはこれまでの日常の積み重ね。普段やってないことをこの日だけ出来るわけがない。
くす玉も本番の1回の成功の為に何度も何度も繰り返す。作ってつりあげて、割って、降ろしてまた作って、
つって、・・・
くす玉、花、壁画、放送・・・・・・
記念撮影のために作った花のスタジオ
体育館入り口への無機質な階段を飾る。花を5色作り、紐を通して、左右対称に飾り付ける。
卒業生を迎えるゲートと赤のカーペット。
そして、本番を迎える。卒業証書授与などの試演はあるが、それ以外はシナリオを各部署が読み込んでの一発勝負となる。3年間学んだすべてを出し切って式典は成立する。最後の授業である。
ある運動部の保護者の方「3年間休みの日も含めて本当にお世話になりました。お礼に心ばかりのものを差し上げたいのですが贈り物は禁止ということですので、申し訳ありません」
校門を出た後、道の向こう側で高校生がお菓子のぶら下がった帽子を卒業生にかぶせた、しかしすぐに帽子をとり「すみません、ここでは受け取れません」と返した。
ここに本物がある。そのまま受け取ると何も残らない。しかし返した時、大きな自信となって成長する。
なぜ風船?なぜお菓子?なぜカーニバル?
心を込めて時間をかけて作り上げたものがそこにあるのに
大切なものは心で見ないと見えてこない
大切なものは見ようとしないと見えてこない