嘉数中日記第293回    平成30年7月9日

星に願いを


7月7日 七夕 生徒会のみんなが玄関に笹と短冊を準備してくれました。
みんな、それぞれに願い事を書いてくれました。進学のこと、部活のこと、クラスのこと、家族のこと・・・自分のこと

毎年、七夕に紹介しているお話があります。ピアニストの北村智恵さんのムジカ工房通信54号からの抜粋です。

胸にしまっておけないドラマ      北村智恵
 三年前、幼稚園のとなりに“特養”ができ、そこへ毎週子どもたちを連れて行くようになった初めての日、ある男の子が、車椅子に乗って入室した八十歳前後の老女を指して私に言った。「うわァ、先生オバケ!」
 その人は、ボサボサに伸びた白髪を肩まで垂らし、背中が丸くなっているので、前を見るときどうしても上目づかいのような目つきになり、肘かけに腕をのせてはいても、手首から先がダラッと下向きになっているうえ、精気のない感じがしていたので、その子はおそらく、このような年寄りに出会ったことがなかったのだろうと思うが、こともあろうに「オバケ!」とは、なんということを言うのだろう、と、私は、ただただ、その声が、その人や仲間の人たちに聞こえていないことを心の中で祈った。
 ちょっと世の中に出れば、そのような、あるいはそれに近い風貌の年寄りはたくさんいる。その子の年齢からすれば自分にとっての「おばあちゃん」は、まだまだ五十歳代。団塊の世代もしくはそれより少し若いめの世代かと思う。「おばあちゃん」と呼ばれていても、日頃Gパン姿であちこち飛びまわっていたり、今どきのことだから、髪も白髪どころか茶髪や金髪に近く染めている人も多いことだろう。「おじいちゃん」も「おばあちゃん」も、そのイメージは、物を買ってくれる人、どこかへ遊びに連れて行ってくれる人であって、ボサボサに伸びた白髪や車椅子の姿ではないのだ。しかも、町を歩いたり、電車やバスに乗ればそういう人に出会うこともあると思うが、今ほとんどの子どもたちが、父親、もしくは母親の運転する車に乗って、家から目的地へ「家庭ごと」移動するだけで世の中の、いろんな条件の人たちと出会う機会がほとんどないから、ちょっと高齢者を見ただけで「オバケ!」と指差すような子どもになってしまうのだと思う。現代の「親」の子育てを垣間見たような気がした。
 ところが、そんな子どもでも、毎週出会い続けることにより、それぞれの高齢者一人ひとりの人たちと顔なじみになり、「あ、今日は○○さんがいない!どうしたのかなあ」とか、「○○さん、こんにちは!」などと言うようになる。そして手の甲の皺や茶色い染みを何とも思わず一緒に「せっせっせ」をしたり、握手したり、抱き合ったりするようにまでなるのは、本当に大きな希望だと思う。
 子どもたちはかわいい。自己紹介で自分の名前を言うときも、歌を歌うときも、いっしょうけんめいそうしている姿を見るだけで、ありのままでかわいく、私たちおとなは思わず微笑んでしまう。
 この夏、七夕祭りの前の週のことだった。「今日は“たなばたさま”の歌を一緒に歌います。その前に、笹飾りのための短冊に願い事を書いてください」と言って、特養の人たちにも、連れていった子どもたちにも、一枚ずつ短冊を配った。好きな色の短冊と好きな色のクレパスを選んでもらったが、認知症と思しき人だけでなく、多くの人たちが「字はもう忘れた」「字はもう書けない」と言い、ヘルパーさんや私までが、代わりに書いてほしいと頼まれた。思えば自分の名前すら、思い出せなかったり、わからなかったり、間違ってい言う人たちが何人もいる“特養”である。「いいですよ、何て書きましょう?」と言いながらクレパスを持った私は、おそらく「元気で長生きできますように」という願いごとを代理で書くのだろうと推察していたが、その想像は見事に裏切られた。
 「この子らが元気で大きくなりますように」
 ほとんどの人がそう書いてほしいと言ったのだった。
 自分の年齢や名前すらわからず、字も書けない、高齢のその人たちが、自分の孫でも曾孫でもないこの子たちを思い、他者への祈りを持っておられることに心から感動し、涙があふれた。気高く尊い姿だと思った。