晴耕雨読
雨が続き太陽が恋しくなります。
でも、蓮の花は雨にうたれて気持ちよさそうです。中学校では池がほとんどなくなり、宜野湾市内でも本校だけだそうです。晴れた日にはトンボが飛んできて、雨の日にはどこからからかカタツムリが現れます。晴れた日には畠を耕し、雨の日には本を読む。忙しすぎる毎日だから、たまにはゆっくり本でも読みましょう。新美南吉の「かんざし」という短編があります。女の子と池の中のさかなとのやりとりです。物の尊さは人によって違うことに気づき、反省する・・・・不思議な世界です。
かんざし
女の子が池の縁から水の中を覗いておりました。水の中には一匹の魚が沈んでおりました。
「あっ」
と女の子が叫びました。かんざしが女の子の頭から抜けて、池の中に落ちたからであります。
かんざしは魚のそばに沈んできました。
「魚さん、かんざしをひろってください。」
と女の子が魚にたのみました。
「これは何ですか」
と、魚が聞きました。
「それはかんざしといって、頭にさすものです」
と女の子は教えてやりました。
「だいじなものですか」
「ええ、私には大事なものです」
そこで魚は欲が出ました。かんざしを自分のものにしたいと思いました。
「私はひろってあげません。自分でおひろいなさい。」
女の子は困ってしまいました。水は深いのでとても自分で拾うことはできません。女の子は泣きながら行ってしまいました。
魚は大変得をしたと思いました。
「ひとつ頭にさしてみよう」
といって、かんざしをさしてみました。そしてその時、自分の頭にはかんざしはさせないことが初めてわかりました。
そしてまた、ほかの人には尊いものであっても、自分にはちっとも尊くないこともあるのだ、ということがわかりました。
次の日、女の子はまた池の縁にやってきました。
魚はかんざしをくわえて水の中に浮かびました。
「私がわるうございました。さあ、かんざしをお返しします。」
女の子はどんなに喜んだことでしょう。なんどもなんどもお礼を言いました。
池の中をのぞいてみよう・・・・・・