道遠し
【随筆】 「道遠し」より抜粋
長野県豊岡村教育委員会元教育委員長
毛涯章平(けがいしょうへい)
道遠ければ行く手にともしびを
○道遠しとは
先年、私があの戦争中から終戦直後の混乱期に先生として子どもたちにどう対面していたか、確かめたくて、唯一の手がかりである日記をひもといてみた。
まず驚いたことは、その表紙に「道遠し」と書いてあった。
なぜなのか不思議に思いながら読んでみた。
・今日先輩から「三十歳までは基礎の勉強だぞ」と言われた。努力しなければならない。
・学級通信を朝二時までかかって書いた。これは、教育に是非必要だからやるのではない。やった方がよいからやるのだ。
・この頃自分は勉強が足りない。少し高慢怠惰の風が生じてはいないか。
・「葉隠」に曰く(佐賀藩士への教え)
「修行ニオイテハコノ点マデ進メバ成就セリト思ウベカラズ。決シテ成就トイウコトハナキモノナリ。成就ト思フトコロ、ソノママ道ニ背クモノナリ。一生ノ間不足不足ト思ヒテ死スルトコロ、コレヲ後ヨリ見テ、即チ成就ノ人トイフナリ」
・私は気がついてみたら、子どもたちに言っている「かくあるべし」ということは、すべて自分自身に言い聞かせていることがらであった。恥ずかしくてならぬ。
これらいくつか読んでみて「道遠し」と題をつけた気持ちがわかった。
それは、
「教育の道がいかにも遠い果てなき道であること」
「自己研鑽の道がまた限りなく遠い険しい道であること」
この二つの道はこれでよいということがないという思いから「道遠し」と名付けたのである。
ちなみに森信三先生は、
「教育とは流水に文字を書くような果てない業である。だがそれを岩壁に刻むような真剣さで取り組まねばならない」と諭されている。
一年間、ありがとうございました。
小さな我慢を積み上げて
小さな勇気を持ち続け
我慢の川を渡り続けます
学ぶものは素直であれ 学ぶものは謙虚であれ そして常に一流たるをめざせ